破天荒な父から学んだ子供時代
非常識な日常生活を送る運命に生まれた経験を反面教師に、ポジティブ思想を展開。
自由奔放に生きている父は、なんと離婚経験7回。
その父を保護者としていた私は、幼い頃は日々泊まる家が変わり、ママ母の名前を間違えないように一苦労だった。
子供心を察してくれない父の姿をみては、自分だけが父のころころ変わる結婚生活の犠牲者のように思え、愛情に飢えていたのか?精神病になった記憶もある。
日常がこういった具合なので、三歳の時点で高級クラブ、高級割烹を制覇していた私は、大人の世界が早く見えた事たことは今となっては良かったかも。人生はとても短い。駆け足で夢に挑んでも早すぎることはない。思いたたった時が勝負。決して遅すぎることもない。
安定ががなく不安がよぎると、お金への執着が強くなるようだ。お年玉やお手伝いをしたお小遣いをひたすらためていたのも自分自身をどこかしもべにしていたように記憶する。16歳になるまでに自力で300万円貯めた。
後にこれが 『ブライダルサロン・ジェミニ』 というお店を出す軍資金となる。
ある日学校から帰宅すると、なにげなく 「宿命は変えられないが、運命はかえられるでえ~」 と父から言われた私は、その言葉を神の啓示でもあるかのように一瞬で信じた。
破天荒な父ではあったが、その言葉を一瞬で信じさせるような真っ直ぐで揺ぎの無い生き方を、私に教えてくれていたのである。書籍に続く
身近にあった芸能界
松竹女優・塩月満子として活躍していた頃の叔母。
今は亡き叔母から教えられたことは多かった。
夏休みには必ず、元女優だった叔母の家に預けられた。
いつもお芝居をしているように立ち振舞う叔母に見とれ、不思議な魅力を感じたものだ。
厳しい叔母だったが、誰も見てない私生活でも美観にこだわりを持ち、何をしても完壁をめざすプ口の姿勢が漂う生き方に誇りに感じ、尊敬していた幼少時。
後にハリウッド映画業界で出会う女優たちからも叔母との共通が見出され、何を意味していたのか大人になって初めて深く気づかされた。
そしてもっとも影響を受けた、私の父方の叔父である故・西条満は、振付師として芸能界のパイオニア的存在でもあった。
山口百恵の最後のステージ演出をはじめ、数多くのアイドルタレントの振付師として活躍する現役の姿を見ながら私は育った。
叔父はテレビでよく見かけるスター歌手たちといつも一緒にいるので、好奇心旺盛な私にとって、叔父と過ごす時聞がとても刺激的だった。
「物怖じしないから何所でも連れて行きやすい」と、叔父が他の人と自分のことを話しをしているのを聞くと、テレビでよく見るスターが目の前にいても、空気 の様な存在を常に心がけていたように記憶している。
業界の挨拶の仕方やマナーが素直に体に溶け込んでいき、自分に合う環境だと7歳ぐらいだったが、悟ったことを鮮明に覚えている。
今、ハリウッド業界で物怖じせず仕事ができるのはやはり、流れている血のせいかと勇気をもらうことが多い。
そしてプロとしての意志や心構えをもらったのは確かである。
誤解しないでほしいのだが、比較的恵まれた環境だから今があるのではない。
叔母や叔父には、生前仕事については一切相談したこともなく、自分で達成する意欲を抱かなくては、目的やゴールには決してたどり着くことはない。
振り返れば、不満を喜びに変えたのは、ほかの誰でもなく自分自身だった。
ただ、業界で華々しく活躍した叔母や叔父のように、自分にもどこか少しでも才能が受け継がれていて欲しい、という願いがあった。
そしてそれは後の自信につながり、いい糧になったことを感謝している。 あなたのご両親も完璧でないかも?家も複雑かも?自分の夢に反対してるかも。裕福な家庭でないかも?つらいことや思うままにならないことのすべてが感じれる感情の宝ものです。まずは宿命に感謝、そして運命を思うままの人生をクリエイトしていきましょう!!これを読んでる方はもう始っていますね。あなたはもうすでに一歩踏み出しています。まずは生まれてきたことに感謝。心のセットアップができると次は運命と共存する夢に向かってください。応援します!!続きは出版書籍「幸は24の感情」に続きます。近日出版予定
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